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アウトプットの必要


 夏である。

 夏と言えば夏休み、夏休みにはテストやら宿題やらレポートやらお盆休み分の仕事を普段の仕事と合わせて進めていくお盆前後特有の忙しさやらがある人もいるでしょう。

 私にとっての夏休みは、教育機関が長期休みに入るので、自転車操業から少しだけ解放される時期である。そのかわり1人だと適当に摂っていた昼食をちゃんと作って家人たちに食べさせなければならないので、めちゃくちゃ余裕があるというわけでもないのだが、それでも自分のための時間を得やすい貴重な時期である。移動時間やスキマ時間に少しずつ読みすすめていたあの本この本をまとまった時間にがっと読めるのはやはり幸せだ。夏休み公開の映画を昼間のんびり見に行くのもいい。特に今年は観たい単館上映系映画がたくさんあって、今から楽しみなんである。

 ところで私の場合、映画や本からインプットをすると何らかの形でアウトプットをしないと居心地が悪くなるのだが、皆さんはどうだろうか。もう少し若い頃には一人で映画を見て、その後手近な喫茶店などで観たばかりの映画のパンフレットを読んで1人振り返りをしたり余韻に浸ったり、色々思い考えながら帰途につくだけで良かった。つまり、インプットしたものを自分の中で響かせておくだけでよかったのだが、最近は違う。

 いつの頃からか、インプットしたものをどのような形であれアウトプットするまでがセットになってしまった。

 誰かとそれについて話すのでもいい、日記に書くのでもいい、とにかく言葉に落とし込んで外に出す事が必要なのだ。

 専門書であればマーカーで線を引くだけでよかったのが、書き込みが必要になってきた。

 これは多分、私の脳内で単純記憶が優勢な時期が終わり、連想記憶優勢になったからかもしれない。

 単純記憶というのはその名の通り、ひたすらに知識を記憶庫に叩き込むという記憶スタイルである。人はおよそ幼年期から成人期にかけて―だいたい5歳くらいからアラサーくらいまでだろうか―、淡々とひたすらに、さまざまな知識を大量に、ほとんど取捨選択せず己の中に蓄積させる。
その後に来るのが連想記憶で、すでに得た知識同士を関連付けて思考したり、新しく得た知識を既得知識に加えて豊かにしたり、と言ったいわば記憶したものを応用するフェーズに入る。

 一見、子どもや若者より大人の方が知識や経験が豊かに見えるのは、知識量が豊富というよりも、関連付けがうまくなることによるのではないかと思う。大人にとっては新しいことを覚えるのは中々に手強い。単純記憶力が落ちてるからね。しかも知識というのは日々アップデートしているから、過去に蓄えた知識の修正もしなくてはならない。大人の脳の中は複雑で大変なのだ。

閑話休題。

 経験も知識も乏しかった幼い頃には、見たもの聞いたもの、読んだものを、ある意味そのままストレートに感じていればよかったし、それこそが、若く柔らかい心にしかできないことだと思う。

 しかし連想優位な大人はそうはいかない。知識と経験がある分、やたら物事の解像度が高くなる。なってしまう、と言いたくなることさえある。見聞きしたものからはみ出るほどの何かが、今の私のアウトプットに当たるのかもしれないなと思いながら、このコラムにも少しずつそれを流していたりもするのである。
                    (C.N)

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