人事を尽くせず天命を待つ
夏の暑さが少しだけ緩んだような、まだまだ暑いようなと思っている内に、急に秋の空気に変わりました。境目があったのかと思うぐらいの急激な変化です。
「人事を尽くして天命を待つ」と言うことわざがありますが、意外と、人事を尽くすと言うのは難しいと感じませんか。
自分ができうる限りのことをするぞと思っても、いざ物事が終わってみると、あれもこれもやろうと思えばできなくはなかったかもしれないけれど出来なかったことや、誘惑に負けてしまったことや、色々思い浮かんできてしまいます。すると、人事を尽くしていないな ・・・となりやすいですよね。
一方で、成功している人やキラキラしている人を見ると、努力を重ね、一寸の隙もなく人事を尽くして天命を待っているように見えます。そして、多分そういう一握りの能力にあふれた人は持てる能力と努力を少なくとも自分よりはいかんなく発揮しているのでしょう。
しかし、そこまで自分に厳しく、かつ一途に打ち込めないことの方が大半ではないでしょうか。さらに、人事を尽くそうとしても、割り込んでくる雑事やトラブル、他の人の世話に自分の体調、人間社会で生きていれば、様々な物事があり、色々な関係性の中で生活せざるを得ず、そんなに人事を尽くしていられません。
そんな中で自分がいつもしているのは、結局のところ「人事を尽くして天命を待つ」と言うより「人事を尽くせず天命を持つ」だなぁと感じます。
でも、私自身はその状況がそこまで嫌いではありません。
人事を尽くせていないので、天命を待った結果、準備不足で失敗することもあり、または何とかギリギリセーフのこともあり。必ずしも大成功ばかりではありませんが。
「天命を待つ」というのが、以外と嫌いではないのかなと思います。少なくとも、人事を尽くせずとも、その責任をちゃんと負う覚悟で「天命を待てる」ことは、十分に称賛に値すると思っています。何かを形にしたときに、評価を得ることは責任を伴うこともあり、とても怖いことでもあります。それでも、その自分の結果の良い所も悪い所も認めて、「天命を待てる」。
そして、その結果を受け止められる。さらには、その結果を経験として蓄積し、また新しい一歩を歩き始められるとすれば・・・。
人事を尽くせなくても、責められることではありません。天命を待てた自分を、まずは褒め労うところから、始めましょう。
(K.N)
追記:今週末の日曜日10月5日に、日本心理臨床学会の大会自主シンポで17時から、話題提供者として、参加いたします。会員の方でお時間がある方はぜひ、見にいらしてください。
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