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針の穴を通すようなこと


 先日、シンガー・ソングライターの折坂悠太さんのライブ(独奏遊行 らいど 2025 東京公演)に行った。

 これまでも自宅のスピーカーから流れる彼の声を聞いて、魅力的な良い声だなあと思っていたのだが、生歌を聞いてびっくりした。声がいいだけではない、めちゃくちゃ歌がうまい。語彙が乏しくて悲しくなるのだが、身体が唯一無二の楽器のような人だった。(当然のようにギターもすごく上手)
そして、ライブならではだと思うのが、だんだんと彼の身体が温まって、喉が開いて、調子が上がっていくのを同じ空間で体験するのがとても楽しかった。ライブ開始直後からどんどん良くなっていくので、最高潮!の状態でライブが終わり、余韻がすごかった。

 最近始まった研修で自分の中を探索する時間が増えているせいで、普段以上に感情や身体感覚が開きやすい状態になっている私は、折坂さんから発せられるエネルギーにものすごく揺さぶられた。

 勝手な感想だが、折坂悠太さんという人は、時代と場所が少し違えば、シンガー・ソングライターではなく、シャーマンだったと思う。なんというか、シンガー(歌手)というレベルを超えて、私の深いところに訴えかけてくる感じや、折坂さんの歌を通じて、大きなものとつながる感じがするところが。

 私は、今・ここ、の現実にしっかり立っているつもりであるけれど、それは本当に微妙なバランスの上に成り立っていることで、ちょっと気を抜くか、ちょっと風に煽られるかすると、簡単に落ちてしまうんだろうな・・・と考える。例えば、「生きる」ことに対しての執着も、あっさりと手放してしまいそうな危うさを、私自身も持っている。だからこそ、大切な人たちと支え合って、気遣い合って、与えられた生を、生きていくんだろうなと思う。出来るだけ、誰の手も放さずに、誰も落ちないように、持ちこたえていきたいと思う。

 折坂さんの歌「針の穴」の歌詞で


 今私が生きることは 針の穴を通すようなこと
 強い風の吹く所で 針の穴を通すようなことだよ

            「針の穴」折坂悠太



とあるのだが、この歌詞を聞きながら、厳しい現実と向き合うたくさんの人の顔が浮かんだ。そうだよね、生きるって、ときに痛くて苦しくて、大変だよね、と思う。でもこの歌は、こう締めくくられる。

 今私が生きることは 針の穴を通すようなこと
 稲光に笑ってたい 針の穴を通すようなことでも



 強い風の中で、大しけの海で、針の穴に糸を通すような、無理難題に思えることでも、諦めなければ、いつか出来るかもしれない。そう思って立ち続けるのが人生なのかもしれない。私は、針の穴を代わりに通すことはしてあげられないけれど、あなたが諦めないように、一緒に風に吹かれて揺られることは出来る。と、セラピストとしての初心に戻る歌詞でもあった。

 また折坂さんの生歌、聞きに行きたい。
                   (M.C)



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